マナビバ福岡

2019年8月14日

No.1089

早朝5時半。

早く起きないと今日のイベントに置いてかれる。

(初めてのアメリカの時、ホスト先の家族に置いてかれたことあります。)

そんな緊張感のある眠りだったからか、

夢の中は全て英語だった。

(何かを説得していた。)

夢でも英語な自分がいて、まだ体内の感覚では英語が鈍っていないのを知ります。

朝を迎える景色も最高^ ^

朝支度を済ませ、6時発のバスに乗車。

Boys will be boys.

どの科目よりも社会が好きが変わらない僕は1人社会科見学^ ^

奥さんはスパへ。

バスの車内では朝のハワイの景色に癒されながら、これと決めないでその時に思いつくアイディアを思考しようと思うも、

バスの運転手さんのウンチク話が止まらない笑

アナウンスとして5分ぐらいかと思いきや、15分経っても止まらない。

途中高速乗っても止まらない泣

客観的事実に、個人的解釈を盛り込む話に、

“苦手な噺家だ“

と僕の心がざわつく。

“これは僕の・私の考えですが、”という前置きを置いて欲しい。

でないと人によっては偏った見解を知識として得てしまうからだ。

バスに揺られること40分

ウンチクはまだ止まらない泣。

途中のアナウンスから、

“これから軍の施設に入るため、守らないと命に関わる”という厳し目のものに変わり、聞き始めた。

1時間のドライブにて、到着。

今回の旅の目的の1つ。

The Pearl Harbor

(真珠湾)

向かう日本人たちは男ばかり笑。

しかし

朝の7時の開場には男女年齢関係なく長蛇の列。

“ここはディズニーランドか!?”

と心のツッコミが止まらない。

“ここから下手な行動を取れば、最悪命はない。最低でも逮捕はありえる。”

厳し目のアナウンスは続き、入場。

ドキドキしながら入場するも、

アメリカ海軍の皆様に全力の笑顔で

“ALOHA〜^ ^”を貰う。

この全力の笑みで仮に殺されたら、きっと僕の亡骸は笑みでいっぱいだろう。。。

真珠湾施設に入り、日本の零戦部隊が落としたアリゾナのイカリの前に。

そして少し前に安倍首相が演説をしたメモリアル施設の前に。

今日初めて知った。

あの白のメモリアル施設の下にアリゾナが眠っているのだ。

日本に対して闘いを決行した証拠でもあり、

アメリカの今を知る貴重な証として眠っているのだとのこと。

(アメリカは戦争を通して、自国の歴史を振り返る。)

(日本には関ヶ原記念館がないのを考えるとここがちょっと違う。)

施設を巡り、アメリカ側からの事実を知る。

(変な脚色はない)

途中生き証人の話も聞く。

(こういうのは翻訳を通して知りたくないから、凄く貴重。)

施設巡りが終わり、15 分ほどの映画の後、ボートに乗り、アリゾナそして戦艦ミズーリの近くへ。

(戦艦ミズーリについては、後ほど。)

1941/12/7。

この地でアメリカとの戦いが始まったのだ。

まだこの下には1000人近くのご遺体が眠っているそうである。

今日は、8月15日。

黙祷。

ボートの旅を終え、戦艦ミズーリへ。

これが東京湾に来たのは9/2。

硫黄島。沖縄。室蘭。茨城。など

室蘭へ砲撃したのは長崎の原爆投下日。

(8月9日)

戦艦ミズーリから多大なダメージを受けた日本。

艦長から見るこの景色からどれほどの命が奪われただろう。

そして、

9/2

外相 重光葵率いる一団が 降伏サインした場所へ。

この写真は見たことあると思いますが、

こちらはどうでしょうか?

日本がどういう立ち位置だったのかを知ります。

殺される覚悟で乗船した重光一行。

その緊張のシーンを思い浮かべます。

この地で様々な思いを抱き、

ある場所へ。

沖縄にミズーリが向かった時、

1人の特攻隊員が命を捨てて、挑んだ場所へ。

海面上6メートル。

海面スレスレの高さを数時間もかけて挑んだ1人の命。

(その他はミズーリに届くことも出来ず。)

一騎の威力は火災を起こすほどの威力であったが、すぐに消火されたのだ。

特攻隊員石野節雄・二等飛行兵曹(19歳)。

彼の特攻後のご遺体は、破棄されず、翌日アメリカ軍の兵士にしか適用されない海軍葬で見送られた。

(キャプテンウィリアム・キャラハン艦長は、命を賭して自らの任務を全うしたとして、甲板に残されたパイロットの遺体を弔うことを決め、翌日、星条旗に描かせた日の丸を使い、海軍式の水葬が執り行われたの意思に基づき、敬意を込めて見送られた。当然、ミズーリには日本国旗はなく、徹夜して海軍たちは手縫いで作り、ご遺体を包み、見送ったのだ。)

当時の傷跡は今もある。

どこから話を始めて、

どこをどう切り取り、どう話を終えるか。

1つの出来事を伝える時に難しいところ。

そして受け手の知識、心情などの状況に応じて、伝わる内容が変わることも難しいところであり、

正しい歴史教育、歴史認識など存在し難いところである。

令和初の8月15日。

戦艦ミズーリが東京湾に来たのは9月2日ですが、

終戦を迎えた今日。

日本が降伏を認めたこの地で

僕は学んだ。

誰が偉くて、誰がどうとは思わない。

誰か1人の将軍をたたえるなら、当時自らの命を引きかえに自らの子供の命を守った母親たちもたたえてほしい。

様々な思いを巡りながら、

この場所にて

黙祷。

そしてその後は航空博物館へ行き、アメリカの回収した零とアメリカの戦闘機を見学。

しかし、これにはあまり興味がなく、5分で終了。

帰りもバスガイドのウンチクは止まらず、途中8月15 日ということもあり、玉音放送を全て聴いた。

(全て聴くことに意味がある玉音放送。)

そしてバスガイドの彼の話を聴いた。

内容からというより、その発する言葉、言葉から日系人である彼から日本人としてのスピリットを感じた。

これは彼からだけでなく、ハワイのいたるところからも感じる。

それは看板などの案内だけでなく、所々で感じる。

初めは苦手なウンチクだったが、日本人としてのスピリットを発する彼の言葉は好きになった。

彼は言っていた。

歴史は学問であり、数学と同じように足し算が好きで、引き算が嫌いというのはない。

歴史は学問であり、数学と同じように、歴史認識などない。

日本に対する強い思い。

次ハワイに来るときは、日系人たちから知るハワイを学びたいと思った。

【塾長今日のひと言】

明日は最終日。

名残惜しみながら、今日の出来事を振り返る。

ハワイの全てに感謝を込めて。

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